大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

山形地方裁判所酒田支部 昭和37年(わ)22号 判決

被告人 佐藤久一郎

昭七・九・四生 店員

主文

被告人を禁錮三月に処する。

訴訟費用はすべて被告人の負担とする。

本件公訴事実中、被告人がその惹起した交通事故についての所定事項を警察官に報告しなかつたとの点については、被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一、酒田市新町字光ヶ丘所在の土木建築請負業池田組に雇われて自動三輪車の運転業務に従事していたものであるところ、昭和三六年四月一〇日午後五時過より同市新町食糧品店原田寿子方外一軒で焼酎約四合外清酒・ビール等を飲酒し、午後八時頃肩書住居地に帰宅せんとしたのであるが、当時右飲酒のため相当酩酊しており、もしそのまま自動車を運転するときは正常な運転を期し難く、殊に運転とともに更に酔がまわり、前方注視等車を安全に運転するために必要な諸注意を守ることが益々難しくなり、為めに危害を発生させる蓋然性が非常に高い状態に在つたのであるから、かかる場合自動車運転者としては酔の醒めるまで運転を避止し危害の発生を未然に防止すべき業務上の義務があるにもかかわらず、酒の勢に駆られてこれを怠り、同所から前記池田組の事務所に戻つたうえ、右事務所から池田組の自動三輪車を運転して前記被告人宅に向つたのであるが、右運転とともに益々その酩酊の度を加え、その結果、

一、同日午後八時二五分頃時速約二五粁で同市新片町一八番地先道路にさしかかつた際、折柄同所を自転車にて対面通行してきた斎藤三蔵(当時五二才)を見落し同人に右自動三輪車右前部を衝突させて路上に転倒させ、因つて同人に加療約一〇日間を要する頭部割傷、額部内出血の傷害を負わせ、

二、更に同日午後八時三五分頃時速約三〇粁で同市大字吉田新田通称大曲り附近の道路にさしかかつた際、折柄同所を自転車にて対面通行してきた佐藤辰治(当時五七才)を見落し同人に右自動三輪車右前部を衝突させて路上に転倒させ、因つて同人に加療約一ヵ年を要する頭部外傷、顔面挫滅創、右大腿骨々頭骨折、右股関節脱臼(なおこの右脚は生涯を通じ不全――いわゆる跛――となる)の傷害を負わせ、

第二、上記第一の二の如く交通事故を起こし、同事故につき人に衝突しこれに傷を負わせたかも知れないとの認識を有していたのであるから、かかる場合自動車運転者としては直ちに車を停車して現場を見分し、負傷者の救護・道路における危険の防止等当該事故現場における交通の安全と円滑を図るため必要な措置を講じなければならないのに、これをしないで逃走し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示第一の各行為は、いずれも刑法第二一一条前段、罰金等臨時措置法第三条に、また判示第二の行為は、道路交通法第一一七条、第七二条一項前段に該当する。

ところで、被告人の本件罪責は相当重いものといわなければならない。即ち被告人は、自動車運転者として厳に慎まねばならぬ飲酒のうえの運転(しかも、単なる酒気帯び程度ではなく、相当酩酊していながらの運転)をあえて行い、右運転により益々酩酊して本件第一の各事故を起し、殊に第一の二の行為の被害者には加療約一ヵ年を要し且つ一生右脚不全(跛)となるの傷害を与え、しかも事故後法令所定の措置を執ることもなく逃走(いわゆる轢き逃げ)し、且つ、右各事故の被害者及び被告人の供述によれば、被告人から各被害者に対する慰藉の措置は決して充分なものではない。加うるに、被告人には昭和三〇年から同三三年にかけ、無免許運転で三回、速度制限違反及び追越禁止違反で各一回と計五回も自動車運転に関して罰金刑に処せられている前歴があり(検察官の前科回答書及び被告人の当公判廷における供述)、以上に、現下の道路交通及びそれより生ずる事故に関する種々の問題点を考え併せると、当裁判所としては、被告人の立場を種々考慮しても、なお被告人にこの際相当の実刑を科すべきものと考える。

そこで、上記第一の各罪につき禁錮刑を、第二の罪につき懲役刑をそれぞれ選択し、以上はいずれも刑法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文、第一〇条により、最も重い第一の二の罪の刑に右第四七条但書の制限内で法定の加重をなし、その刑期範囲内で被告人を禁錮三月に処することとし、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条一項本文によりその全部を被告人に負担させることとする。

(無罪)

本件公訴事実中、「被告人は、上記第一の二の如く交通事故を起こしたのに、その事故発生の日時場所等法令の定める事項を直ちにもよりの警察署の警察官に報告しないで逃走したものである」との点については、上掲の各証拠により一応その事実は認められるものの、以下述べるところにより、右の事実は罪とならないものと解する。

即ち、道路交通法第七二条一項によれば、自動車運転者は交通事故を起した場合、先ず同項前段により上記第二に判示の如く負傷者救護等の措置をとる義務を負い、次いで同項後段により右に記載の如く法令所定の事項を警察官に報告すべき義務を負うところ、右各義務の違背に対しては、同法第一一七条及び第一一九条一項一〇号により各別の罰則が付されている点等からみて、右各義務に違背する行為は一応各独立した罪となるかの如く見える。そして、運転者が交通事故に際し、右前段の義務はつくしながら、右後段の義務に違背して逃走したときに、右後段違反の罪が独立して成立することには異論がないであろう。しかし、運転者が、右両義務をともにつくさないで逃走したときに、右各義務違反の独立した罪が二箇成立するのか、又は前段違反の罪のみが成立するのかは難しい問題であり、現に説のわかれるところである(たとえば、前説をとるものとして、旧道路交通取締法に関し大阪地裁堺支部昭和三五年二月二四日判決・下級裁刑事裁判例集第二巻二号二〇五頁、現行道路交通法に関し渋谷亮「道路交通法一一七条をめぐる問題点」・警察研究第三三巻一号六五頁。後説をとるものとして、旧法に関し東京高裁昭和三四年七月一五日判決・東京高裁判決時報第一〇巻七号刑三一一頁、現行法に関し札幌高裁昭和三六年一一月九日判決・判例時報第二八四号三〇頁等参照)。

しかし、当裁判所としては、道路交通法は、刑法の場合などとはことなり、右のように交通事故を起こしながらそのまま逃走するような者(いわゆる轢き逃げ運転者)に対し、刑法のようにその反社会的ないしは反倫理的側面を追求するのではなく(たとえば殺人・傷害・過失致死傷罪や遺棄罪等による追求)、それは、道路交通の安全と円滑を図る目的(道路交通法第七二条三項参照)を達成すべく設けられた同条一項の措置を守らせるに必要な限度でこれを罰しようとしているにすぎないものと解すべきこと、そして自ら交通事故を起こしながら右一項前段の措置をとらないような者は亦後段の報告をもなさないのが通例であり、換言せば前段の措置をつくさぬ者には後段の報告を期待できない(それは恰も「交通事故を起こしながらそのまま逃走する」一箇の行為のように評価できる)といえるところからみて、このような場合には右前段の措置義務違反のみを採りあげてこれを罰することにしても前記目的を達成するに充分であると認められること、現に前記道路交通法第七二条一項は、その規定の仕方やその義務の内容からみて、明らかに、前段の義務を基本的、後段の義務を――その補充性の程度はともかくとして――補充的としていることが看取できるのみならず、その各罰則たる同法第一一七条及び第一一九条一項一〇号において前段違反の刑を後段違反のそれよりも相当重くしていることは正しく右の趣旨のあらわれとみるべきこと、しかして右第七二条一項は、その後段の報告義務の内容の一として「当該交通事故について講じた措置」即ち前段に基く措置を報告すべきことを求めており、したがつて右後段は前段の全文を受けた規定であり、右後段冒頭の「この場合において」なる文言も、前段中の「交通事故があつたときは」の部分のみならず、「前段のすべての措置が完了したとき」という意味に解すべきこと(なおこの点につき旧道路交通取締法施行令第六七条一項及び二項参照)等の諸点からみて、結局右第七二条一項後段の報告義務は同項前段の措置を完了した後に初めて具体的に発生する義務であり、未だ前段の措置が完了せず又は右措置が全く講ぜられなかつた場合には右後段の義務は発生せず従つてこれが違反の罪に問われることもないこと、換言せば、交通事故を起した運転者が救護等の措置も報告もせずそのまま逃走した場合にも、右救護等の義務(前段の義務)違反の罪のみが成立し、後段の報告義務違反の罪は成立しないものと解するのが相当であると考える。

そこでこれを本件についてみるに、被告人が判示第一の二の交通事故を起こしながら、右第七二条一項前段の措置を講じなかつたことは判示第二のとおりであるから、被告人がその際同項後段の報告をしなかつたとしてもこの点は上記のとおり罪となるものではない。したがつて、右公訴事実については、刑事訴訟法第三三六条前段に従い無罪の判決をすべきである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 小谷卓男)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例